『スーパーカブを駆る少女』
原付 ツーリングクラブ モナミ
環境整備された人工池を囲む遊歩道。
夜道を照らす街灯の電力はソーラーエネルギーで賄われ、夜間のライトアップが幻想的な噴水と、水上テラスが印象に残る、近代的な都市公園。
その畔に、一人の少女と男の子が座り、会話を楽しんでいた。
近くに住む小学生だろうか。
制服を見る限り、少女は高校生だ。
少女の隣には、ホンダの実用原付バイク『スーパーカブ』が駐輪されていた。
「いいなあ。僕もバイクに乗れたら、どこへでも好きな所に行けるのに」
「きっと、いつか乗れるよ」
「僕が大きくなって、お姉ちゃんがバイクに乗らなくなったら、そのバイクをプレゼントして欲しいな」
「あげたいけど、これは駄目かもね。これは、お姉ちゃんの宝物だから……ふふふ」
少女と男の子は、親しい間柄に見えた。
改めてバイクに目を向けると、年代物ながら、綺麗に乗られているのが分かる。
塗り替えたのだろうか。
旧モデルのカラーバリエーションに、クリーム色は無かったはず。
なるほど、本当に大切にしているバイクの様だ。
「頑張って、いつか自分で買うね。そうしたら、お姉ちゃんと一緒に走れるし」
「うん! そうだね。一緒に走れたら、きっと楽しいよ」
そんな他愛の無い会話を聞きながら、昼食の弁当を食べ終えた俺は、自分のバイクに乗り、会社へ戻った。
そう、俺もライダーだ。
社会に出たばかりの頃、車より先に原付の免許を取り、学生時代から欲しかったホンダのバイク、マグナを手に入れた。
たまにツーリングに出かけ、綺麗な景色を見たり、美味しい料理を食べたり、市内にあるタコ焼き店で、仲間達とバイク談義を楽しむのが趣味だ。
バイクについて会話している人々を見かけると、つい聞き耳を立ててしまう。
俺の悪しき性癖だ。
よくよく思い起こせば、あの少女を見かけたのは、今日が初めてではなかった。
かれこれ一ヶ月ほど前だろうか。俺がバイクを購入した専門店に、ボロボロに傷ついたスーパーカブを持ち込んだ少女。
それが彼女だった。
あの時のバイクがレストアされ、あれほど綺麗な姿に変貌していようとは、思いもしなかった。
すぐに分からなかった訳だ。
しかしながら、少女とスーパーカブ。
この異色の組み合わせだけは、鮮烈な記憶として、脳裏に焼き付いていた。
―― 一ヶ月前。
セーラー服を着た少女が、汗だくになり、哀愁さえ感じられる、緑色のスーパーカブを引きずりながら、バイク店を訪れた。
「はぁ……はぁ……店長さん、このバイクを、直して頂けますでしょうか?」
「これは……年季の入ったバイクだね。オーバーホールとなると、相当な費用が必要だよ。それに、お譲ちゃんは最近、バイクを手に入れたばかりではなかったかい?」
「親戚から譲って頂いて、乗っていたのだけどね。あれは友達に譲って、このバイクに乗ろうと決めたの」
「女性向きの、綺麗なスクーターだったのに、なぜ……」
「このバイクが好きだから、どうしても乗りたくて。なんとか修理できませんか?」
「もちろん、仕事だから断りはしないよ。ただ、この有様ではね。メカニックに見積もらせても良いが、最低でも5万円はかかると思う。それでも良いのかい? 買った方が安くなってしまうよ」
「はい、お願いします。お金はアルバイトをして貯めた分があるから、それを全部使えば払えると思う」
酔狂な子だと思った。
三度の飯よりカブが好きなのだろうか。
確かに、スーパーカブは名車だ。
世界中を探しても、これに比肩するほど売れているバイクは例が少なかろう。
しかし、若い女性が選ぶには渋すぎる。
状態の良い実動車を譲り受けたなら理解もできるが、激しく壊れた不動車に、5万円もの修理代を投じてまで乗りたいとは。
それだけの予算があれば、同じカブでも、もっと状態の良い中古車が買えそうなものを。
珍しい子が居たものだと、興味を惹かれてしまった。
公園で少女を見かけた週の土曜日、俺は再び、その店を訪れる事になった。
愛車が、オイル漏れを起こした為だ。
原因を調べて頂いた結果、どうやら、パッキンを交換せねばならないと判明。
幸いにも、作業は短時間で終わるとの事だった為、その場でバイクを預け、メカニックが作業している間、店長に問い掛けた。
「先日、近所の公園で、以前、ここにカブを持って来た彼女を見かけたのです。彼女は、なぜ、あれほどまでにスーパーカブの修理を願ったのですか?」
「理由は分からないが、きっと、思い入れのある車種なのだろうね」
「錆も浮いていて、フレームも曲がっていた様に見えたのに、綺麗にレストアなさいましたね」
「彼女が徹底的に拘ってね。塗り直す色も彼女が決めたのだよ。どうしても、クリーム色にして欲しいと懇願されてね。調色が不要だったならば、塗装の代金も多少は安くなったろうに」
「よほど大好きなバイクなのでしょうね。趣味に使うお金を勿体なく思わない気持ちは、同じライダーとして共感できます」
「カブに惚れ込んでしまったのだろう。彼女を見ていて、私も、好きなバイクを初めて手に入れた時の事を思い出してしまったよ。そうした理由で、あのバイクは想像以上に損傷していて、修理代が8万円を超えたのだが、安直に5万円と伝えてしまった責任もあるし、随分と勉強させて頂いた。彼女には内緒にしておくれよ」
店長には、バイクや、ライダーに対し、他ならぬ想いがあるのだろう。
少し、暖かい気持ちになった。
―― それから更に、数日が経過。
俺は次のツーリングに備え、必要な道具を買いに、隣町のバイク用品店を訪れた。
ここの店員は、ほぼ全員が顔馴染みだ。
俺は、暇そうな店員を呼び止め、ふと思い出した様に、彼女の話を切り出した。
「スーパーカブを、高いお金をかけてまでレストアして乗っている、珍しい女子高生が居るのですよ」
「カブに乗る女子高生か……。名前は知らないが、そのバイクがクリーム色ならば、私の知っている子だよ。うちの店にも何度か来ているよ」
「え? そうなのですか?」
「以前は、すごく仲の良い友達と、一緒に来ていたのだけどね、最近は、なぜか一人で来ている。喧嘩をしたのかもしれない」
そこへ、他の店員が割り入った。
「それは、恐らく、あの子の親友の女の子だね。確か、彼女は先々月、カブに乗っていた時に、交通事故に巻き込まれて亡くなったのだよ。報道されて、皆で噂をしていたから知っているでしょう?」
「ああ! 思い出したよ。あの緑色のカブに乗っていた子か! 淡い色が大好きで、在庫が無かったクリーム色のヘルメットを、わざわざ取り寄せたのを覚えている。いつか、同じ色に塗装したカブで、日本中を旅するのが夢だと息巻いていたね」
「そうそう。それで、彼女のカブを、あの子が乗り継いだのだよ。最近では、ライディングの楽しさに目覚めた様で、ツーリングクラブにも入会したそうだ」
「なるほどね……ニュースキャスターが、事故死したと報じていた高校生とは彼女の事で、あの子の親友だったのか」
一連の会話を聞いていた店長も会話に加わり、知る限りの事情を話してくれた。
「今、形見のカブに乗っている彼女も、いつか、そのバイクに乗って、日本中を巡ると宣言している。ツーリングクラブに入会したのは、長距離の移動に、早く馴れる為らしいよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で、全てのパーツが繋がった。
だから彼女は、あのバイクに固執した。
バイク専門店の店長が、故障ではなく、損傷と表現したのを些か不自然に思っていたが、その根拠も理解できた。
彼女は、親友の夢を叶える為に、アルバイトをし、得た貯金を全て使い、今や形見となった親友のバイクを蘇らせたのだ。
近所の子供には宝物だからと伝え、塗装にも拘ったのは、親友が生前に好きだった色だから。
経緯を知るや、俺の中で、彼女の存在が一気に大きくなった。
「店長さんは、ご存知だったのですね」
「ああ、珍しい苗字だから、特に覚えていた。確か名前は……」
―― 彼女は『原付萌奈美』ちゃん。
どこにでも居る、普通の女子高生だ。
きっと今もカブに乗り、どこかを走っているのだろう。
その大きなリアキャリアに、あらゆる人々の、夢と、願いと、想いを載せて。